【短編小説】チャンスさん - 別れの道
あれ? ふと気が付く。
こちらに向かって歩いて来る人がいる。さっきまで気が付かなかった。誰だろうか。頭がツルツルだ。前髪がおでこの上にちょこんと付いている。
待てよ。以前、ある人から聞いたことがある。あれは、もしかしたらチャンスさんなのではないだろうか。ツルツル頭にちょこっとした前髪。イギリス紳士の Mr. Chance こと、チャンスさんではないだろうか。
徐々に近づいてくる。顔や体の輪郭もはっきりしてくる。確信は持てないが、チャンスさんに違いない。
チャンスさんと出会えるなんてラッキーだ。チャンスさんはしょっちゅう訪れてくれる人ではないからだ。次に彼が来るのはいつなのか、それは誰にも分からない。
チャンスさんは時に思いもよらぬ幸運をもたらしてくれるという。それは驚くほど素晴らしいことだったり、人生の大きな転機となる出来事だったりする。せっかく出会えたチャンスさんだ。捕まえておいた方が良いだろう。
かなり近づいてきた。チャンスさんを捕まえるには・・
どうやら、彼の前髪をガシッと掴むしかないようだ。
でも、チャンスさんを捕まえたら、あとあと、色々と面倒くさいのではないか。食事を与えたり、話し相手になってあげたり。予期せぬトラブルだって起きるかもしれない。それってかなり面倒くさい。だったら、そのまま素通りさせた方がいいのかもしれない。そうすれば面倒は何も起こらない。現状を維持できるし、何よりも楽である。
でも、捕まえておけば何かが起こるかもしれないんだ。もしかしたら素晴らしいことが起こるのかも。もちろん何も起こらないのかもしれない。その可能性の方が高いのだろう。でも、何も起こらないなりに何かが起こるのかもしれない。何も起こらないけれど、何かに繋がる何かが起こるのかもしれない。なんとも言えない。考えても答えは出ないか。
チャンスさんを捕まえるには、手を伸ばして前髪をガシッと掴むだけだ。簡単だ。
でも、動くのって面倒だ。身体を動かすのって面倒だ。行動するのって面倒だ。うん、色々と面倒だ。だったら素通りしてもらおうか。そうだね。それが楽だし、簡単だ。
いや、捕まえるべきだ、捕まえておくべきだ、、とも思う。
面倒くさいけど。
いや・・ ああ・・ どうしよう・・
あ、次があるか。そうだよね。そうだ。うん、次がある。次でいいか。
いや、でも・・
心のどこかでは気になっている。本当にチャンスなのかも。だったら捕まえたい。
でも面倒。
やっぱり、次・・ かな。うん。次・・ だな。
ああ、そうだ!!どっちにしても今はできないじゃん!理由を思いついたよ。よかったー。うん、今でなくて次だ。だって理由を思いついたもん。残念だけど仕方がないね。次かあ。そうだなー、次こそは必ずだなー。理由があるし、、今回は仕方がないなー。
でも・・ 本当に次なの? 次でいいの?
いや・・
でも・・ いや・・
ああ・・ どうすれば・・
あ、あ・・
あ、チャンスさんが横を通り過ぎちゃった。
まあ、今回は仕方がなかったんだ。そう、仕方がなかった。だってさ、理由があったんだもん。うん。理由があったんだ。
・・本当にそう?本当にそれで良いの?
そんな簡単に納得しちゃっていいの?まだ今ならチャンスさんを捕まえられるんじゃないの?早くしないと本当にチャンスさんが行っちゃうぜ。できない理由を無理やり探して、それに納得しているだけじゃないの?
やるのが面倒くさいから。動くのが面倒くさいから。
本当はできるんじゃない?本当はやりたいんじゃない?本当はチャンスさんを捕まえたいんじゃないの?
そうだよ。そう、まだ捕まえられる。そうだよ。
よし。
ふん、チャンスを逃したって? さてどうかな。だって、まだすぐうしろにチャンスさんがいるんだぜ。チャンスさんを捕まえるチャンスはまだ残っているんだぜ。
うしろを振り返る。
案の定、チャンスさんはまだ手の届く距離にいる。
手を伸ばす。
チャンスさんに触れる。
つるん。
あっ
掴む場所がない。
えっ
つるん。
えっ
チャンスさん! チャンスさん・・
そんな・・
チャンスさんは気にせずに歩いて行く。
チャンスさんはどんどん歩いていく。
チャンスさんはどこまでも歩いていく。
チャンスさんは行ってしまった。
もう手は届かない。
彼の後ろ姿がどんどん小さくなっていく。
結局、チャンスさんは去って行ってしまった。こちらを振り返ることもなく。
いや・・いや、大丈夫さ。だって、まだチャンスはあるから。チャンスさんはまた来るから。うん、きっと来る。それを待てばいいんだ。そう、それだけだ。今回のは・・ 多分チャンスじゃなかったんだ。そうだ。うん、チャンスじゃなかった。だから仕方がなかった。次がある。次が・・
次がある・・
次が ・・
そう、次が・・
・・・・
あれからどれくらいの時間が経過したのだろうか。40年か50年か。結局、チャンスさんが再び僕の前に現れることはなかった。
時々考える。あの時、チャンスさんを捕まえておいたらどうなっていたのだろうか。僕の人生は何か変わっていたのだろうか。
それは分からない。分からないし、考えても仕方のないことだと思う。
でも、きっと・・
でも、きっと何かが変わっていたような気がする。
考えても仕方のないことだけれども。
(了)
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